京都・智積院の名宝 [EXHIBITION]
先週行ってきた展覧会。
場所は六本木、サントリー美術館。
智積院といえば、京都・東山のお寺さん。
京都国立博物館や三十三間堂のご近所だ。
アタシはここに、2013年の真夏に訪れた。
そしてここの収蔵庫で長谷川等伯およびその一門が手掛けた
国王の障壁画をほとんど貸切状態で堪能したのだ。
それは今思い出しても感動的な一時だった。
今回の展覧会では、その収蔵庫にあった障壁画の殆どが展示されるという。
えっ?そんなにいっぺんに来ちゃうってどういうこと?と思って
智積院の公式サイトを見てみたところ、
どうやら新しく展示収蔵庫宝物館という施設を作っているらしく
その間、智積院では長谷川一門の障壁画を展示できないので
こうして貸出しているようだ。
寺外でこれらの障壁画を同時公開するのは
おそらく最初で最後、とのこと。
あの、大好きな等伯の『楓図』が東京で観られるなんて!。
展示は4部構成。
正直言って長谷川一派の障壁画以外は、割とどうでも良かったりして(小声)。
でも実際に行ってみるとそうは行かないのが世の常。
まずは《第1章 空海と智積院》
なぬ?空海と智積院に関係が?。
智積院に空海が関係していると知ったら
おいそれとスルーするわけにはいかない。
どういう繋がりなのかと展示を観ていくと、
9世紀初め頃空海が紀伊国で高野山を開創。
その後高野山に入山した覚鑁(かくばん)が鳥羽上皇の帰依を受けて
荒廃していた高野山を復興し、上皇の勅願寺として大伝法院を開く。
更に晩年、修行の場として根来寺を開く。
この根来寺に高野山の大伝法院が移され、
その中に出来た塔頭寺院のひとつが智積院。
そんなわけで空海=弘法大師の肖像も展示されているのだけど、
あれ?…元々は京都じゃないんだ。和歌山なんだ?。
その後、羽柴秀吉の紀州攻めで、智積院のあった根来寺は焼き討ちに遭い、
智積院も焼失してしまった…。
智積院が現在の地にやってきたのは、政権が豊臣から徳川に移ってから。
徳川家康から、東山の祥雲禅寺(祥雲寺)を譲り受けたとのこと。
で、元々この祥雲禅寺を建立したのが豊臣秀吉。
3歳で夭折した息子の鶴松(棄丸)の菩提を弔うためのものだった…。
そこで、《第2章 桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画》。
祥雲禅寺を豪華絢爛な障壁画で埋め尽くすよう
秀吉から命じられたのが、長谷川等伯とその一門。
その時に描かれたのが今回の展覧会の目玉となっている
『楓図』などの障壁画なのだ。
この祥雲禅寺にあった障壁画を、智積院はそのまま引き継ぐ形になる。
1682年の火災で祥雲禅寺の建物は火災で焼失してしまうのだけど
障壁画は智積院の僧たちによって運び出されて事なきを得る。
その後も明治時代の盗難や昭和の火災によって
障壁画のいくつかは失われてしまったけれど
残されたもののいくつかが今日こうして
目の前の大きな展示ケースの中に鎮座している。
智積院の収蔵庫で観たときはぐるっと障壁画に囲まれていたけれど
今回はコの字型でほぼ横並び。
最初は『松に秋草図』。
そして左側を振り返ると長い展示ケースに『楓図』と『桜図』が並んでいる。
更に奥には『松に黄蜀葵図』と『雪松図』
『桜図』は等伯の息子、久蔵によるもの。
『桜図』を観ると、アタシはいつも
「久蔵ーーー(T^T)!!!」と泣きたくなってしまう。
久蔵はこの『桜図』を描いた翌年、26歳の若さで亡くなってしまうのだ。
その死については、病死説もあれば、長谷川派をライバル視していた
狩野派の陰謀による他殺説もありミステリアス。
隣に展示されている『楓図』は等伯によるもの。
緑・赤・黄と描き分けられた楓の葉がとても煌びやかで豪華、かつ上品。
この『楓図』は、久蔵が描いた『桜図』よりも後に描かれたそう。
『桜図』は、まるで桜のようにパッと咲いて散ってしまった久蔵のようだし
『楓図』は、人生の秋にあってもなお赤く燃えさかる楓のような
等伯を示しているように思えてくる。
更にこの二つが並んでいると、右に伸びた楓の枝が
隣の桜に手を差し伸べてるように見えてきて、
う〜っ!なんか泣けてくる!(ノ_<。)。
この『楓図』『桜図』、そして『松に秋草図』『松に黄蜀葵図』
『雪松図』という一連の国宝障壁画を堪能したら
もう帰ってもいいというくらいの満足度ではあるけれど
他の展示品にもいくつか印象に残ったものがあったので
一応備忘録的に羅列。
●運敞 賛『玄宥僧正像』
日本画の肖像画は写実的な西洋の肖像画と違って
その人が実際はどんな顔だったのかが想像しづらいけれど
この肖像画は玄宥僧正のお顔が想像できてしまう(^m^)。
●網干片身替蒔絵螺鈿行厨
精緻な細工が美しすぎる。
●土田麦僊(つちだばくせん)『朝顔図』
土田麦僊は16歳で智積院に入るも、画家を志して出奔した画家。
その麦僊が描いた朝顔図が智積院に収められている。
なにもない背景の上に、竹垣と朝顔が描かれている。
すっごくスッキリした絵で、夏の朝の爽やかな空気感が伝わってくる。
●堂本印象『婦女喫茶図』『松桜柳図』
これは個人的に「好き」というのではなく、
とにかくインパクトが強すぎて頭から離れなくなる。
こ、これをお寺の襖に?!。いやー新しいわ(^^;。
●『後奈良天皇宸翰和歌(三十六歌仙)』
16世紀、室町時代の後奈良天皇直筆による三幅一対の掛け軸。
書も美しいのだけど、それが書かれている料紙が美麗。
12月28日からは後期展示で一部内容が入れ替わるし
もう一度長谷川一門の障壁画を観ておきたいという気持ちもあるが、
他にも観たい展覧会がいろいろあるのでちょっとキビシイか…。
自分土産はポストカード。
土田麦僊の『朝顔図』のカードがあって嬉しかった(*^^*)。
明日はまた東京に繰り出してアートに触れるぞ〜!。
------------------------------------
《オマケ》
美味しい頂き物。
神戸の「Maman et Fille(マモン・エ・フィーユ)」というお菓子屋さんの
『珈琲ビスキュイ』。
缶の蓋を開けた途端にふわ〜っと香ばしいよい香り( ̄▽ ̄)。
大人の味わいのビスケット。美味!。
思わず取っておきたくなるお洒落なカンカンのお菓子が
最近増えている気がする(*^^*)。
場所は六本木、サントリー美術館。
智積院といえば、京都・東山のお寺さん。
京都国立博物館や三十三間堂のご近所だ。
アタシはここに、2013年の真夏に訪れた。
そしてここの収蔵庫で長谷川等伯およびその一門が手掛けた
国王の障壁画をほとんど貸切状態で堪能したのだ。
それは今思い出しても感動的な一時だった。
今回の展覧会では、その収蔵庫にあった障壁画の殆どが展示されるという。
えっ?そんなにいっぺんに来ちゃうってどういうこと?と思って
智積院の公式サイトを見てみたところ、
どうやら新しく展示収蔵庫宝物館という施設を作っているらしく
その間、智積院では長谷川一門の障壁画を展示できないので
こうして貸出しているようだ。
寺外でこれらの障壁画を同時公開するのは
おそらく最初で最後、とのこと。
あの、大好きな等伯の『楓図』が東京で観られるなんて!。
展示は4部構成。
正直言って長谷川一派の障壁画以外は、割とどうでも良かったりして(小声)。
でも実際に行ってみるとそうは行かないのが世の常。
まずは《第1章 空海と智積院》
なぬ?空海と智積院に関係が?。
智積院に空海が関係していると知ったら
おいそれとスルーするわけにはいかない。
どういう繋がりなのかと展示を観ていくと、
9世紀初め頃空海が紀伊国で高野山を開創。
その後高野山に入山した覚鑁(かくばん)が鳥羽上皇の帰依を受けて
荒廃していた高野山を復興し、上皇の勅願寺として大伝法院を開く。
更に晩年、修行の場として根来寺を開く。
この根来寺に高野山の大伝法院が移され、
その中に出来た塔頭寺院のひとつが智積院。
そんなわけで空海=弘法大師の肖像も展示されているのだけど、
あれ?…元々は京都じゃないんだ。和歌山なんだ?。
その後、羽柴秀吉の紀州攻めで、智積院のあった根来寺は焼き討ちに遭い、
智積院も焼失してしまった…。
智積院が現在の地にやってきたのは、政権が豊臣から徳川に移ってから。
徳川家康から、東山の祥雲禅寺(祥雲寺)を譲り受けたとのこと。
で、元々この祥雲禅寺を建立したのが豊臣秀吉。
3歳で夭折した息子の鶴松(棄丸)の菩提を弔うためのものだった…。
そこで、《第2章 桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画》。
祥雲禅寺を豪華絢爛な障壁画で埋め尽くすよう
秀吉から命じられたのが、長谷川等伯とその一門。
その時に描かれたのが今回の展覧会の目玉となっている
『楓図』などの障壁画なのだ。
この祥雲禅寺にあった障壁画を、智積院はそのまま引き継ぐ形になる。
1682年の火災で祥雲禅寺の建物は火災で焼失してしまうのだけど
障壁画は智積院の僧たちによって運び出されて事なきを得る。
その後も明治時代の盗難や昭和の火災によって
障壁画のいくつかは失われてしまったけれど
残されたもののいくつかが今日こうして
目の前の大きな展示ケースの中に鎮座している。
智積院の収蔵庫で観たときはぐるっと障壁画に囲まれていたけれど
今回はコの字型でほぼ横並び。
最初は『松に秋草図』。
そして左側を振り返ると長い展示ケースに『楓図』と『桜図』が並んでいる。
更に奥には『松に黄蜀葵図』と『雪松図』
『桜図』は等伯の息子、久蔵によるもの。
『桜図』を観ると、アタシはいつも
「久蔵ーーー(T^T)!!!」と泣きたくなってしまう。
久蔵はこの『桜図』を描いた翌年、26歳の若さで亡くなってしまうのだ。
その死については、病死説もあれば、長谷川派をライバル視していた
狩野派の陰謀による他殺説もありミステリアス。
隣に展示されている『楓図』は等伯によるもの。
緑・赤・黄と描き分けられた楓の葉がとても煌びやかで豪華、かつ上品。
この『楓図』は、久蔵が描いた『桜図』よりも後に描かれたそう。
『桜図』は、まるで桜のようにパッと咲いて散ってしまった久蔵のようだし
『楓図』は、人生の秋にあってもなお赤く燃えさかる楓のような
等伯を示しているように思えてくる。
更にこの二つが並んでいると、右に伸びた楓の枝が
隣の桜に手を差し伸べてるように見えてきて、
う〜っ!なんか泣けてくる!(ノ_<。)。
この『楓図』『桜図』、そして『松に秋草図』『松に黄蜀葵図』
『雪松図』という一連の国宝障壁画を堪能したら
もう帰ってもいいというくらいの満足度ではあるけれど
他の展示品にもいくつか印象に残ったものがあったので
一応備忘録的に羅列。
●運敞 賛『玄宥僧正像』
日本画の肖像画は写実的な西洋の肖像画と違って
その人が実際はどんな顔だったのかが想像しづらいけれど
この肖像画は玄宥僧正のお顔が想像できてしまう(^m^)。
●網干片身替蒔絵螺鈿行厨
精緻な細工が美しすぎる。
●土田麦僊(つちだばくせん)『朝顔図』
土田麦僊は16歳で智積院に入るも、画家を志して出奔した画家。
その麦僊が描いた朝顔図が智積院に収められている。
なにもない背景の上に、竹垣と朝顔が描かれている。
すっごくスッキリした絵で、夏の朝の爽やかな空気感が伝わってくる。
●堂本印象『婦女喫茶図』『松桜柳図』
これは個人的に「好き」というのではなく、
とにかくインパクトが強すぎて頭から離れなくなる。
こ、これをお寺の襖に?!。いやー新しいわ(^^;。
●『後奈良天皇宸翰和歌(三十六歌仙)』
16世紀、室町時代の後奈良天皇直筆による三幅一対の掛け軸。
書も美しいのだけど、それが書かれている料紙が美麗。
12月28日からは後期展示で一部内容が入れ替わるし
もう一度長谷川一門の障壁画を観ておきたいという気持ちもあるが、
他にも観たい展覧会がいろいろあるのでちょっとキビシイか…。
自分土産はポストカード。
土田麦僊の『朝顔図』のカードがあって嬉しかった(*^^*)。
明日はまた東京に繰り出してアートに触れるぞ〜!。
------------------------------------
《オマケ》
美味しい頂き物。
神戸の「Maman et Fille(マモン・エ・フィーユ)」というお菓子屋さんの
『珈琲ビスキュイ』。
缶の蓋を開けた途端にふわ〜っと香ばしいよい香り( ̄▽ ̄)。
大人の味わいのビスケット。美味!。
思わず取っておきたくなるお洒落なカンカンのお菓子が
最近増えている気がする(*^^*)。
2022-12-20 23:58
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