特別展 法然と極楽浄土 [EXHIBITION]
気付いたら行ってから大分経っていた(・_・)。
東京国立博物館平成館で開催中の『特別展 法然と極楽浄土』。
この展覧会を観に行こうと思った理由は3つ。
1.五木寛之の小説『親鸞』で、親鸞に多大な影響を与えた人物として
法然が幾度となく登場し、興味があった。
2.昨年末に訪れた當麻寺からの出品がある。
3.グッズ展開が面白い。
…中でも大きな割合を占めるのは「3」だったりして(^^;ゞ。
法然とはどんな人か。ざっくり言うと浄土宗の開祖(ざっくりし過ぎ)。
1133年、現在の岡山県久米郡に生まれる。
法然が生まれる時に、母がカミソリを飲み込む不思議な夢を見たことで
「この子は将来僧侶になる」と武家であった父が予言したとか。
そして後年その父が夜討で死に瀕した際
小さな弓で仇を取ろうとした法然を父が止め、
僧になって自分の菩提を弔うように言い残した。この時、法然9歳。
その後13歳で比叡山延暦寺に上がり、天台僧として修行を積む。
そして1175年、43歳の時に中国浄土教の僧・善導の著作『観無量寿経疏』により
専修念仏の道を選び、浄土宗を開こうと比叡山を下りる。
専修念仏とは「南無阿弥陀仏」と称えれば誰でも救われる
=極楽浄土に往生できるという教え。
源氏と平氏の戦、災害、疫病と困難な時代にあって
この教えは幅広い層から支持されるが、出る杭は打たれるもので
既存の宗派から疎まれ、様々な妨害を受けるのである…。
と、いうわけで…
《第1章 法然とその時代》
ここでは法然の事績にについて紹介。
まずはいくつかの〈法然像〉が並ぶ。
●『法然上人像(足曳御影)』
描かれた当初は着物から足が飛び出した姿だったそうなのだけど
法然が祈願したら絵の中の足が引っ込んだ…とか(?)。
●『法然上人坐像』
奈良の當麻寺奥院に伝わる法然像。
えっ!あの奥院にいらしたのか!(普段は非公開とのこと)。
ちなみに法然像は念仏の数を数えるための数珠を
手に持っているものが多いとのこと。
法然の像ではないけど、個人的に印象的だったのが
●『仏涅槃像』
滋賀・新知恩院に伝わる涅槃像。
手のひらに乗るほどの小さなお像なのだけど
胸の部分に水晶が填め込まれていてお釈迦様の胸が輝いて見える。
法然の業績を伝える絵巻物も凄い。
●国宝『法然上人絵伝』
全48巻、全長約600mは現存最大規模。
1307年から10年かかって完成したとのこと。
眺めていると、絵も書も様々な書体で書かれていることに気付く。
10以上の絵師や工房が分担して作ったと考えられている。
●『拾遺古徳絵伝』
法然が自身の師である叡空と議論を戦わせ、
怒った叡空が思わず自分の木枕を法然に投げつけているという場面。
弟子にギャフンと言わされて、立派な師匠が物を投げるほど腹を立てる…
ってのがなんだか可笑しい(^m^)。
「おぉっ!これが!」とちょっと感動したのが以下の2つ。
●『七箇条制誠』
最初に記したように、ひたすら念仏を称えれば誰でも往生できると説いた
法然の教えは革命的で、優秀な僧侶が次々と法然のもとに集まり
武家・公家・一般庶民からも支持を得て、3万人を超える大教団を形成。
こうなると他の教団が黙っちゃいない。
まずは法然の勢力拡大を警戒した比叡山延暦寺が弾圧を開始。
1204年10月に法然の専修念仏を禁止するよう
天台座主(比叡山の貫首)に訴える。
これに対し法然は弟子達を集め、教えを履き違えた行き過ぎた行いをやめるよう
『七箇条制誠』を記し「この制誠に背く者は自分の門人ではない」と戒めた。
ここに約190名の弟子たちの署名が記されてるのだけど
綽空=若い頃の親鸞の署名もある。
小説『親鸞』に出てきたアレ(七ヵ条の起請文)か!と勝手に感慨。
●『選択本願念仏集』(廬山寺本)
1197年に大病を患った法然。
法然にもしものことがあって教えが途絶えることを心配した
九条兼実の薦めにより記したとされるのが『選択本願念仏集』。
今回展示されている廬山寺本の冒頭には法然の自筆部分も含まれる。
これも小説『親鸞』の中で、『選択本願念仏集』を巡って
すったもんだが繰り広げられられるので、またまた勝手に感慨。
《第2章 阿弥陀仏の世界》
法然自身は貴賤による格差が生じる造寺造仏には否定的だったけれども
それを心の拠り所としたいと願った弟子や帰依者には造寺造仏を認めた。
ここでは各地に広まった阿弥陀信仰により制作された
様々な阿弥陀像が展示されている。
その中でも、注目すべきは今回の目玉展示のひとつであるコレ。
●国宝『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』
修理後初公開。
肌裏紙の交換により余白の山水表現がより鮮明になった、とのこと。
誰が描いたのか不明なのだけど、完成度の高さから
相当高い技術を持った絵師の手によるものと考えられているらしい。
「来迎図」とは、人が臨終を迎えた時に、阿弥陀如来が菩薩を引き連れて
迎えに来る場面を表したもの。
画面の対角線上を進む阿弥陀如来御一行様。
スピード感を持って駆けつける様子から「早来迎」と呼ばれるのだそう。
「はいはい〜今すぐ迎えにいきますよ〜」みたいな感じ?
阿弥陀如来の後ろで楽器を持ってる菩薩が演奏する音楽も
ちょっとこうアップテンポでノリノリな感じだったり?…などと
賑やかなBGMにのって物凄いスピードでビューッと天から降りてくる
阿弥陀如来を想像したら不謹慎にもなんだかちょっと笑ってしまった。
(5/4放送のNHK『ヒミツの至宝さん』にVTR出演されていた
知恩院・執事、前田昌信さんによれば「新幹線なみのスピード」らしい^^;)。
《第3章 法然の弟子たちと法脈》
「七ヵ条制誠」を比叡山延暦寺に送った翌年の1205年、
今度は興福寺の衆徒が、法然による専修念仏を禁止を朝廷に申し出る。
これにより後鳥羽上皇から念仏禁止の団が下されるが、
もともとのきっかけは、上皇が寵愛していた女房たちが
法然の弟子が開いた念仏法会に参加して、勝手に出家してしまったことに
上皇が激怒したことだとも言われている。
これにより法然は1207年に讃岐に流罪となる。この時75歳。
10ヶ月で赦免され讃岐から戻ったが、その後1212年、80歳で亡くなった。
ここでは法然の没後、弟子たちが称名念仏の教えを広めるために行った
活動に関する展示が紹介される。
で、登場するのがコレ。
●国宝『綴織當麻曼陀羅』
奈良・當麻寺に伝わる、『感無量寿経』の世界を織り出した曼陀羅。
大きさは4m四方にも及ぶ。
昨年末に當麻寺を訪れたときにアタシが見たのはこれではなく
室町時代に作られた文亀本。
今回展示されている『綴織當麻曼陀羅』は8世紀に作られたもの。
傷みが激しいため普段は非公開。このたび奈良県外では初公開とのこと。
確かに…傷みが激しすぎる上に、展示室内の暗さも相まって
正直言って何が表現されているのかさっぱり分からない(^^;。
音声ガイドで市川染五郎さんが「背後の宮殿が豪華ですね」なんて
解説してくれているのだけど「さっぱりわからんわーい!」
とツッコミを入れたくなる(笑)。
しかし『綴織當麻曼陀羅』は後年「写し」が多数描かれていて
そうした「写し」も一緒に展示されているので
そちらを観れば「あぁ、こういうことが描かれていたのか!」と
改めて確認することが出来た。
(『綴織當麻曼陀羅』の展示は5/6で終了)。
この『綴織當麻曼陀羅』には伝説が残されている。
奈良時代、藤原鎌足の孫にあたる藤原豊成の娘だった中将姫は
継母に命を狙われたり、その継母が罪の意識から自死したりと
いろいろあって出家を決意。奈良の二上山山麓の當麻寺へと向かう。
そこで一心に修行をしていると、あるとき中将姫の前に年老いた尼僧が現れ
蓮の茎で糸を作るように告げる。中将姫が一生懸命蓮の糸を用意して
それを井戸に浸すとアラ不思議!五色に染まったではないか!。
そこに若い女が現れてその糸を使ってたった一晩で
極楽浄土の世界を表した巨大な織物を織り上げたそうな。
実は年老いた尼僧は阿弥陀如来で、若い女は観音菩薩だった…。
(音声ガイドでは織り上げたのは観音菩薩の化身と解説していたけど
ネットで調べると中将姫自身が織り上げたという説が多いかな)。
その綴織當麻曼陀羅の誕生の物語を描いた絵巻も展示されている。
●国宝『当麻曼荼羅縁起絵巻』
中将姫(横佩大臣の姫)が集めた蓮の茎から作った糸を
井戸に浸している場面や、女性が機を織っている場面が展示されている。
13世紀半ば、鎌倉時代に作られたもので
所蔵は鎌倉の光明寺。意外と身近なところにこんな国宝があったとは。
なんだか良さげなお寺さんなので、今度ちょっと行ってみようかな。
ちなみに綴織當麻曼陀羅は「曼陀羅」、
当麻曼荼羅縁起絵巻は「曼荼羅」である。
《第4章 江戸時代の浄土宗》
最終章は江戸における浄土宗について。
法然の教えは脈々と続き、1393年に浄土宗第八祖聖聡が
現在の東京都千代田区あたりに増上寺を開山。
その後1590年、徳川家康が増上寺を徳川家の菩提寺とし
江戸幕府成立後には家康の手厚い保護もあり、浄土宗は飛躍的に興隆していく。
ということで、まずは京都・知恩院像の『徳川家康坐像』があるはずなんだけど
アレ…?等身大パネルの写真だけ?。
何故かと言えば、4月下旬に知恩院での法会があるため
それが終わってから、つまり4月30日からの展示になるらしい。
ここでは主に増上寺や祐天寺に関する展示が多いのだけど
アタシ個人としてはそれ以外の展示の方が興味を引いたりなんかして(^^;ゞ。
●『八天像』
京都・知恩院の経蔵内にある八角輪蔵を取り囲む八天像のうち
帝釈天、持国天、金剛力士、密迹(みつじゃく)力士の4像を展示。
(ということは今知恩院では残された4像が
頑張って八角輪蔵を回しているんだな)。
この八角輪蔵を一回転させれば、中に納められている『一切経』を
読んだのと同じ功徳を積むことができるという、よくあるやつ。
いずれのお像も、衣を翻し腕をぐいっと前に突き出したりして
「押してます!回してます!」というポーズなのがいい。
●『日課念仏』
徳川家康が書いたと伝わる日課念仏。
晩年、家康が自らの滅罪を願って書いたものと言われ
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…」と隙間なく
みっちり書いてあるのだけど、その中には「南無阿弥家康」の文字が
まるで間違い探しのように混ざっている。
そういえば去年の大河ドラマ『どうする家康』の最後の方で
これを書いてる場面があったっけ!。あの時のアレか〜。
●『浄土三部経』
千姫の菩提を弔うために千姫の孫娘が書き写したもので、
紺地の猟師に金泥で書かれた文字が美しい。
ものすごくキチッとした楷書体で、これを書いた千姫の孫娘の
人柄が伝わってくるような気がした。
そして展示の最後を飾るのは、香川県法然寺からやってきた
●『仏涅槃群像』
お釈迦様が入滅した時の様子を描いたものを涅槃図といって
大概は「図」というくらいで2次元で表現される。
が、こちらは3次元。
東寺に「立体曼陀羅」があるけれど、こちらは言ってみれば「立体涅槃像」。
全部で77軀あるうちの26軀を展示。
(音声ガイドでは82軀と言っていたけどこの差は???。
後ろのご本尊を数に入れるかどうかの差かなぁ???)。
で、ここだけ撮影OKなので早速…
こちらがお釈迦様。
こちらは天竜八部衆の一部の方々かな?
両脇には鳥獣たちも。
架空の動物たちすらリアル。
蝙蝠もこの姿。小動物もお釈迦様の入滅を悲しんでいる。
左側は実在の動物たちがメイン。
この愛嬌のある象さんは、ぬいぐるみになってグッズとして販売されている。
嘆き悲しんでいる表情のはずなのだけど…
なんか笑ってるように見えるから癒されちゃうんだろうね(^^;。
妙にリアルな猫さん。
象さんと猫さんは何故か彩色が鮮やかに残ってる。
いやはや、なかなかに見応えのある展覧会であった。
法然が説いた専修念仏が如何に革新的であったのかが
非常によく分かった。
最後はお約束の特設ショップへ!。
実は「絶対欲しい!絶対買うぞ!」と狙っていたグッズがあったのだ。
それがこれ。
「風呂桶」
公式サイトで見た瞬間に「これ絶対欲しい!」と思った。
今使っている風呂桶も相当(何十年も)使ってるし、
新調するにはいい機会。
これを抱えて風呂に入れば気分は極楽(笑)。
それと購入には至らなかったけど「面白い!」と思ったのが
「八天像」の木製スタンド。アクリルじゃなくて木製。
アクスタじゃなくて、モクスタ。
SDGsが叫ばれる昨今、時代はモクスタ?!。
ちなみにトーハク内のレストラン〈ホテルオークラ ガーデンテラス〉では
特別展限定メニューとして「光輪パフェ」を提供中。
とっても美味しそうで、是非とも食べて帰りたかったのだけど
ちょっと時間がなくなってしまったため断念。
「法然と極楽浄土」が終わる6月9日までに
またトーハクに行く予定は…ないな(残念)。
東京国立博物館平成館で開催中の『特別展 法然と極楽浄土』。
この展覧会を観に行こうと思った理由は3つ。
1.五木寛之の小説『親鸞』で、親鸞に多大な影響を与えた人物として
法然が幾度となく登場し、興味があった。
2.昨年末に訪れた當麻寺からの出品がある。
3.グッズ展開が面白い。
…中でも大きな割合を占めるのは「3」だったりして(^^;ゞ。
法然とはどんな人か。ざっくり言うと浄土宗の開祖(ざっくりし過ぎ)。
1133年、現在の岡山県久米郡に生まれる。
法然が生まれる時に、母がカミソリを飲み込む不思議な夢を見たことで
「この子は将来僧侶になる」と武家であった父が予言したとか。
そして後年その父が夜討で死に瀕した際
小さな弓で仇を取ろうとした法然を父が止め、
僧になって自分の菩提を弔うように言い残した。この時、法然9歳。
その後13歳で比叡山延暦寺に上がり、天台僧として修行を積む。
そして1175年、43歳の時に中国浄土教の僧・善導の著作『観無量寿経疏』により
専修念仏の道を選び、浄土宗を開こうと比叡山を下りる。
専修念仏とは「南無阿弥陀仏」と称えれば誰でも救われる
=極楽浄土に往生できるという教え。
源氏と平氏の戦、災害、疫病と困難な時代にあって
この教えは幅広い層から支持されるが、出る杭は打たれるもので
既存の宗派から疎まれ、様々な妨害を受けるのである…。
と、いうわけで…
《第1章 法然とその時代》
ここでは法然の事績にについて紹介。
まずはいくつかの〈法然像〉が並ぶ。
●『法然上人像(足曳御影)』
描かれた当初は着物から足が飛び出した姿だったそうなのだけど
法然が祈願したら絵の中の足が引っ込んだ…とか(?)。
●『法然上人坐像』
奈良の當麻寺奥院に伝わる法然像。
えっ!あの奥院にいらしたのか!(普段は非公開とのこと)。
ちなみに法然像は念仏の数を数えるための数珠を
手に持っているものが多いとのこと。
法然の像ではないけど、個人的に印象的だったのが
●『仏涅槃像』
滋賀・新知恩院に伝わる涅槃像。
手のひらに乗るほどの小さなお像なのだけど
胸の部分に水晶が填め込まれていてお釈迦様の胸が輝いて見える。
法然の業績を伝える絵巻物も凄い。
●国宝『法然上人絵伝』
全48巻、全長約600mは現存最大規模。
1307年から10年かかって完成したとのこと。
眺めていると、絵も書も様々な書体で書かれていることに気付く。
10以上の絵師や工房が分担して作ったと考えられている。
●『拾遺古徳絵伝』
法然が自身の師である叡空と議論を戦わせ、
怒った叡空が思わず自分の木枕を法然に投げつけているという場面。
弟子にギャフンと言わされて、立派な師匠が物を投げるほど腹を立てる…
ってのがなんだか可笑しい(^m^)。
「おぉっ!これが!」とちょっと感動したのが以下の2つ。
●『七箇条制誠』
最初に記したように、ひたすら念仏を称えれば誰でも往生できると説いた
法然の教えは革命的で、優秀な僧侶が次々と法然のもとに集まり
武家・公家・一般庶民からも支持を得て、3万人を超える大教団を形成。
こうなると他の教団が黙っちゃいない。
まずは法然の勢力拡大を警戒した比叡山延暦寺が弾圧を開始。
1204年10月に法然の専修念仏を禁止するよう
天台座主(比叡山の貫首)に訴える。
これに対し法然は弟子達を集め、教えを履き違えた行き過ぎた行いをやめるよう
『七箇条制誠』を記し「この制誠に背く者は自分の門人ではない」と戒めた。
ここに約190名の弟子たちの署名が記されてるのだけど
綽空=若い頃の親鸞の署名もある。
小説『親鸞』に出てきたアレ(七ヵ条の起請文)か!と勝手に感慨。
●『選択本願念仏集』(廬山寺本)
1197年に大病を患った法然。
法然にもしものことがあって教えが途絶えることを心配した
九条兼実の薦めにより記したとされるのが『選択本願念仏集』。
今回展示されている廬山寺本の冒頭には法然の自筆部分も含まれる。
これも小説『親鸞』の中で、『選択本願念仏集』を巡って
すったもんだが繰り広げられられるので、またまた勝手に感慨。
《第2章 阿弥陀仏の世界》
法然自身は貴賤による格差が生じる造寺造仏には否定的だったけれども
それを心の拠り所としたいと願った弟子や帰依者には造寺造仏を認めた。
ここでは各地に広まった阿弥陀信仰により制作された
様々な阿弥陀像が展示されている。
その中でも、注目すべきは今回の目玉展示のひとつであるコレ。
●国宝『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』
修理後初公開。
肌裏紙の交換により余白の山水表現がより鮮明になった、とのこと。
誰が描いたのか不明なのだけど、完成度の高さから
相当高い技術を持った絵師の手によるものと考えられているらしい。
「来迎図」とは、人が臨終を迎えた時に、阿弥陀如来が菩薩を引き連れて
迎えに来る場面を表したもの。
画面の対角線上を進む阿弥陀如来御一行様。
スピード感を持って駆けつける様子から「早来迎」と呼ばれるのだそう。
「はいはい〜今すぐ迎えにいきますよ〜」みたいな感じ?
阿弥陀如来の後ろで楽器を持ってる菩薩が演奏する音楽も
ちょっとこうアップテンポでノリノリな感じだったり?…などと
賑やかなBGMにのって物凄いスピードでビューッと天から降りてくる
阿弥陀如来を想像したら不謹慎にもなんだかちょっと笑ってしまった。
(5/4放送のNHK『ヒミツの至宝さん』にVTR出演されていた
知恩院・執事、前田昌信さんによれば「新幹線なみのスピード」らしい^^;)。
《第3章 法然の弟子たちと法脈》
「七ヵ条制誠」を比叡山延暦寺に送った翌年の1205年、
今度は興福寺の衆徒が、法然による専修念仏を禁止を朝廷に申し出る。
これにより後鳥羽上皇から念仏禁止の団が下されるが、
もともとのきっかけは、上皇が寵愛していた女房たちが
法然の弟子が開いた念仏法会に参加して、勝手に出家してしまったことに
上皇が激怒したことだとも言われている。
これにより法然は1207年に讃岐に流罪となる。この時75歳。
10ヶ月で赦免され讃岐から戻ったが、その後1212年、80歳で亡くなった。
ここでは法然の没後、弟子たちが称名念仏の教えを広めるために行った
活動に関する展示が紹介される。
で、登場するのがコレ。
●国宝『綴織當麻曼陀羅』
奈良・當麻寺に伝わる、『感無量寿経』の世界を織り出した曼陀羅。
大きさは4m四方にも及ぶ。
昨年末に當麻寺を訪れたときにアタシが見たのはこれではなく
室町時代に作られた文亀本。
今回展示されている『綴織當麻曼陀羅』は8世紀に作られたもの。
傷みが激しいため普段は非公開。このたび奈良県外では初公開とのこと。
確かに…傷みが激しすぎる上に、展示室内の暗さも相まって
正直言って何が表現されているのかさっぱり分からない(^^;。
音声ガイドで市川染五郎さんが「背後の宮殿が豪華ですね」なんて
解説してくれているのだけど「さっぱりわからんわーい!」
とツッコミを入れたくなる(笑)。
しかし『綴織當麻曼陀羅』は後年「写し」が多数描かれていて
そうした「写し」も一緒に展示されているので
そちらを観れば「あぁ、こういうことが描かれていたのか!」と
改めて確認することが出来た。
(『綴織當麻曼陀羅』の展示は5/6で終了)。
この『綴織當麻曼陀羅』には伝説が残されている。
奈良時代、藤原鎌足の孫にあたる藤原豊成の娘だった中将姫は
継母に命を狙われたり、その継母が罪の意識から自死したりと
いろいろあって出家を決意。奈良の二上山山麓の當麻寺へと向かう。
そこで一心に修行をしていると、あるとき中将姫の前に年老いた尼僧が現れ
蓮の茎で糸を作るように告げる。中将姫が一生懸命蓮の糸を用意して
それを井戸に浸すとアラ不思議!五色に染まったではないか!。
そこに若い女が現れてその糸を使ってたった一晩で
極楽浄土の世界を表した巨大な織物を織り上げたそうな。
実は年老いた尼僧は阿弥陀如来で、若い女は観音菩薩だった…。
(音声ガイドでは織り上げたのは観音菩薩の化身と解説していたけど
ネットで調べると中将姫自身が織り上げたという説が多いかな)。
その綴織當麻曼陀羅の誕生の物語を描いた絵巻も展示されている。
●国宝『当麻曼荼羅縁起絵巻』
中将姫(横佩大臣の姫)が集めた蓮の茎から作った糸を
井戸に浸している場面や、女性が機を織っている場面が展示されている。
13世紀半ば、鎌倉時代に作られたもので
所蔵は鎌倉の光明寺。意外と身近なところにこんな国宝があったとは。
なんだか良さげなお寺さんなので、今度ちょっと行ってみようかな。
ちなみに綴織當麻曼陀羅は「曼陀羅」、
当麻曼荼羅縁起絵巻は「曼荼羅」である。
《第4章 江戸時代の浄土宗》
最終章は江戸における浄土宗について。
法然の教えは脈々と続き、1393年に浄土宗第八祖聖聡が
現在の東京都千代田区あたりに増上寺を開山。
その後1590年、徳川家康が増上寺を徳川家の菩提寺とし
江戸幕府成立後には家康の手厚い保護もあり、浄土宗は飛躍的に興隆していく。
ということで、まずは京都・知恩院像の『徳川家康坐像』があるはずなんだけど
アレ…?等身大パネルの写真だけ?。
何故かと言えば、4月下旬に知恩院での法会があるため
それが終わってから、つまり4月30日からの展示になるらしい。
ここでは主に増上寺や祐天寺に関する展示が多いのだけど
アタシ個人としてはそれ以外の展示の方が興味を引いたりなんかして(^^;ゞ。
●『八天像』
京都・知恩院の経蔵内にある八角輪蔵を取り囲む八天像のうち
帝釈天、持国天、金剛力士、密迹(みつじゃく)力士の4像を展示。
(ということは今知恩院では残された4像が
頑張って八角輪蔵を回しているんだな)。
この八角輪蔵を一回転させれば、中に納められている『一切経』を
読んだのと同じ功徳を積むことができるという、よくあるやつ。
いずれのお像も、衣を翻し腕をぐいっと前に突き出したりして
「押してます!回してます!」というポーズなのがいい。
●『日課念仏』
徳川家康が書いたと伝わる日課念仏。
晩年、家康が自らの滅罪を願って書いたものと言われ
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…」と隙間なく
みっちり書いてあるのだけど、その中には「南無阿弥家康」の文字が
まるで間違い探しのように混ざっている。
そういえば去年の大河ドラマ『どうする家康』の最後の方で
これを書いてる場面があったっけ!。あの時のアレか〜。
●『浄土三部経』
千姫の菩提を弔うために千姫の孫娘が書き写したもので、
紺地の猟師に金泥で書かれた文字が美しい。
ものすごくキチッとした楷書体で、これを書いた千姫の孫娘の
人柄が伝わってくるような気がした。
そして展示の最後を飾るのは、香川県法然寺からやってきた
●『仏涅槃群像』
お釈迦様が入滅した時の様子を描いたものを涅槃図といって
大概は「図」というくらいで2次元で表現される。
が、こちらは3次元。
東寺に「立体曼陀羅」があるけれど、こちらは言ってみれば「立体涅槃像」。
全部で77軀あるうちの26軀を展示。
(音声ガイドでは82軀と言っていたけどこの差は???。
後ろのご本尊を数に入れるかどうかの差かなぁ???)。
で、ここだけ撮影OKなので早速…
こちらがお釈迦様。
こちらは天竜八部衆の一部の方々かな?
両脇には鳥獣たちも。
架空の動物たちすらリアル。
蝙蝠もこの姿。小動物もお釈迦様の入滅を悲しんでいる。
左側は実在の動物たちがメイン。
この愛嬌のある象さんは、ぬいぐるみになってグッズとして販売されている。
嘆き悲しんでいる表情のはずなのだけど…
なんか笑ってるように見えるから癒されちゃうんだろうね(^^;。
妙にリアルな猫さん。
象さんと猫さんは何故か彩色が鮮やかに残ってる。
いやはや、なかなかに見応えのある展覧会であった。
法然が説いた専修念仏が如何に革新的であったのかが
非常によく分かった。
最後はお約束の特設ショップへ!。
実は「絶対欲しい!絶対買うぞ!」と狙っていたグッズがあったのだ。
それがこれ。
「風呂桶」
公式サイトで見た瞬間に「これ絶対欲しい!」と思った。
今使っている風呂桶も相当(何十年も)使ってるし、
新調するにはいい機会。
これを抱えて風呂に入れば気分は極楽(笑)。
それと購入には至らなかったけど「面白い!」と思ったのが
「八天像」の木製スタンド。アクリルじゃなくて木製。
アクスタじゃなくて、モクスタ。
SDGsが叫ばれる昨今、時代はモクスタ?!。
ちなみにトーハク内のレストラン〈ホテルオークラ ガーデンテラス〉では
特別展限定メニューとして「光輪パフェ」を提供中。
とっても美味しそうで、是非とも食べて帰りたかったのだけど
ちょっと時間がなくなってしまったため断念。
「法然と極楽浄土」が終わる6月9日までに
またトーハクに行く予定は…ないな(残念)。
2024-05-07 21:01
コメント(4)
なかなか見応えありそうな展示会ですね。
グッズに風呂桶!(笑)
光輪パフェをググってみたらマンゴーアイス入りなのかしら?私が見たXの人はマンゴーアイス抜きにしてもらったそうで、コーンフレーク満載のパフェになってました(笑)
by YAYOI (2024-05-08 20:42)
>YAYOIさん
前半かなりじっくり見過ぎたため、
後半はやや駆け足気味で鑑賞したにもかかわらず
全部観終えるのに結構時間がかかってしまいました。
グッズの風呂桶、結構な人気のようです。
特設ショップの棚に風呂桶がなく、えっ?!売り切れ?!と思ったら
陳列棚に並べて置いたものがなくなってしまっていて
「ありますか?」と尋ねたら箱から出してくれました。
そしてレジでアタシの前に並んでいた年配の男性も
風呂桶買ってました(笑)。
>>光輪パフェ
レストランのサイトのメニューには
特にマンゴーアイス入りとは書いていませんでしたが
たしかにマンゴーらしき黄色い物体が入ってますね。
でもマンゴー抜きのリクエストにも応えてくれるんですね。
さすがホテルオークラ系列。
by 梅屋千年堂 (2024-05-08 21:12)
極楽柄の「風呂桶」、笑っちゃうくらいステキ!!!私も欲しいです(*^^*)
by 溺愛猫的女人 (2024-05-09 12:09)
>溺愛猫的女人さん
ちょっと「ケロリン」の風呂桶を彷彿とさせる
黄色・赤・緑というカラーリングがたまりません(笑)。
by 梅屋千年堂 (2024-05-09 22:39)