生誕140年 吉田博展 [EXHIBITION]
今度こそ、迷わず行こう 損保ジャパン
…いきなり一句詠んでどうする(笑)。
人生3度目の「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」。
場所は新宿。
毎回言ってるが、新宿=アタシが最も苦手とする街。
損保ジャパン日本興亜美術館に限らず、
迷子にならずに目的地に辿り着けたことのない街…(^^;。
もう3回目なのだから、今度こそ自信満々な顔付きで
まっすぐ一直線に損保ジャパンのビルまで辿り着くぞ!。
そう意気込んで、しかもちゃんと美術館のサイトを見て
行き方もしっかり頭に叩き込んだつもりだったが…
今まで新宿というと、品川からJRに乗り換えて行っていたのだけど
こっちの方が外に出る時間が少なくて涼しいんじゃないか?ということで
大江戸線の新宿西口駅まで行ってみることにした。
大門および都庁前で乗り換えて無事に新宿西口駅に到着。
ロータリーを挟んで右側右側…右側の通路だぞ。
「新宿の目」を右手に確認。よし、ここまで合ってる。
そしてこの地下通路を直進すると、
右手に「モード学園コクーンタワー」の表示が見えてくるはず。
そこから地上に上がれば損保ジャパンのビルが見えるハズ。
…あれ?。見えない(・o・)。
なんかビルの逆側に出てきちゃったみたい(^o^;。
ぐるっとビルを半周したら、あったあった、損保ジャパン。
やっぱり今回も軽く迷子になってしまった_| ̄|◯。
てなわけで到着。
観にきたのは《生誕140年 吉田博展 山と水の風景》。
吉田博…あまりにもありふれた名前であるが
どのようなアーティストなのかというと
1876年、福岡県久留米市生まれの洋画家・版画家。
10代半ばで絵の才能を見込まれて上京し、不同舎という画塾に入門。
展覧会はまずこの不同舎時代の作品の紹介から始まるのだけど
なんというか、後世に名を残す人というのは
やはり若い時分から才能に溢れているのだなぁと実感。
仲間から「絵の鬼」と呼ばれるくらいだから
本人の努力も並々ならぬものだったのだろうけど、
10代後半にしてこの画力…タダモノではない。
そしてその頃、黒田清輝がフランスから帰国し日本画壇を席捲。
政府の支援を受けて海外留学する黒田の仲間達を羨ましく思った吉田博は
自分も海外に行きたい!と、片道分の旅費と描きためた自分の作品を携えて
1899年、友人であった中川八郎と共にアメリカに渡る。
そこで二人の描いた水彩画がデトロイト美術館の目に留まり
展覧会を開催したところ、これが大当たり!。
持参した水彩画は売れに売れ、十分な旅費を稼いだ二人は
イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど、
ヨーロッパ各国を巡って1901年に帰国した。
こんなにあちこち歴訪したなんて、どんだけアメリカで稼いだんだよ?!
って疑問が湧いてくるのだけど、なんでも当時の小学校教員の
給与13年分の売上だった…とのことである。オソルベシ!。
この頃の作品として展示されているのが水彩画。
とても透明感があって、後の版画に繋がるものを感じさせる。
特に「いいナ」と思ったのは『帆船』『つつじの咲く高原』など。
油彩画もあるのだけど…う〜ん…油絵具という素材の特性か
水彩画のような透明感が殆ど感じられず、個人的にはいまひとつ・・・(^^;。
なんというか、割と普通の風景画という印象…。
それでも、その中で「あ、これ好きだな」と思った油彩画は
ホイッスラーの影響を受けていると言われている『チューリンガムの黄昏』。
で、作品を観ていると、吉田博って人は
きっと穏やかな人柄だったのだろうなぁ…などと勝手に想像してしまうのだが
実はかなり反骨精神の強い人だったようで
1907年の東京府勧業博覧会において、
黒田清輝率いる白馬会に偏った審査の不公平さを訴え
褒状返還運動の首謀者となったりと
黒田清輝および白馬会には何かと反発していて
ホントかどうかは知らないが「黒田清輝を殴った」なんて武勇伝もあるくらい
実に熱い人物だったようだ。
アタシは吉田博=版画家だと思っていたのだけど、
このように若い頃は水彩・油彩の風景画(特に山岳の風景)を中心に描いており
本格的に木版画の制作を始めたのは49歳(1925年)の時。
(1921年に渡辺木版画補からいくつかの木版画を出版はしている)。
その直前に行った欧米の遊学先で
日本の浮世絵版画がいまだに人気を博していて
粗悪な作品でも欧米人が喜んで蒐集しているのを目の当たりにして
「自分だったらもっと凄いことが出来るのに」と思ったのがきっかけらしい。
帰国した吉田博は、日本の伝統的な木版画の技法を使って
それまでにはなかった新しい版画を生み出した。
通常、木版画は、絵師、彫り師、摺師の共同作業によって制作されるのだけど
吉田博は彫り・摺りすべての行程を自ら監修し、一切の妥協を許さなかったそう。
江戸時代の錦絵は10数回の摺り数なのに比べて
吉田博の木版画の摺り回数は平均30数回、
今回展示されている『陽明門』に至っては、なんと96回摺り!!!(◎_◎)。
なんだかもう気が遠くなってしまう。
実際その『陽明門』を目にすると、その超絶さゆえもはや木版画とは思えない。
海外の風景を題材にしているのも面白くて
グランドキャニオンとかヨセミテ、スフィンクス、タージマハール、
マッターホルンなど、異国の風景が日本の錦絵の技法で表現されているのが
ものすごく新鮮。
同じ版木を用い、色を変えて摺ることで
同じ風景の朝と夜、昼と夜という時間の変化を表現した「別刷り」という手法の
作品も多く展示されていて、これもとっても面白い。
版画の特性を生かした、ちょっとした工夫なのだけど
同じ版木でも、こんなに違った表現が出来るのか!と驚いてしまう。
一応、自分の覚え書き的にお気に入りの作品を羅列…(^^;ゞ
『ヨセミテ公園』
『光る海 瀬戸内海集』←ダイアナ妃が執務室に飾ってたやつ
『鞆の浦 瀬戸内海集』
『朝日 富士拾景』
『平河橋 東京拾二題』←満月がすごく綺麗
『雲井櫻』
『渓流』
『ラングーンの金塔 印度と東南アジア』
『フワテールシクリ 印度と東南アジア』
『ウダイプールの城 印度と東南アジア』←背後のアラベスク模様が超絶!
『陽明門』
とにかく、吉田博の木版画は空の色と水面の表現がスゴイ。
特に朝と夕の空の色、山肌に当たる陽の光なんて絶品。
日本のちょっと湿気を帯びた感じや、
砂漠の乾ききった感じ、インドの強い日差しなど
国ごとに異なる空気の質感までも描き分けている。
最後の章では、戦中・戦後の作品が少しばかり展示されている。
戦時中、従軍画家だった時に描いた油彩画で
『急降下爆撃』『空中戦闘』という作品がある。
吉田博はホントに高いところからの眺めが好きな人だったようで(^^;
自ら戦闘機にも同乗して、その時の体験したと思われる風景(?)を
この2作品で描いている。
なんというか、この絵の前に立った瞬間にクラッとして目が回る(◎0◎;)。
こんな体験は初めてだったので、かなり衝撃的だった。
自分土産はポストカード8枚(1枚写真に入れ忘れた^o^;)。
8月には後期展示になり、かなりの数の作品が入れ替わるようだ。
後期展示も行きたいけれど、行かれるかどうかわからいないので
実物を観ていない後期展示の作品のポストカードも買っておいた。
損保ジャパンのビルの外に出たらば、もうすっかり夕暮れ。
なんだかもう自分の目が「吉田博モード」になっちゃってて
ビルの谷間から見える夕空のグラデーションが
紙に摺られた吉田博の木版画みたいに見えて仕方がなかった(^^;ゞ。
それにしても吉田博…
なにゆえ洒落た雅号をつけなかったんだろうか。
(そこがまた逆にちょっとカッコいいけれども)。
…いきなり一句詠んでどうする(笑)。
人生3度目の「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」。
場所は新宿。
毎回言ってるが、新宿=アタシが最も苦手とする街。
損保ジャパン日本興亜美術館に限らず、
迷子にならずに目的地に辿り着けたことのない街…(^^;。
もう3回目なのだから、今度こそ自信満々な顔付きで
まっすぐ一直線に損保ジャパンのビルまで辿り着くぞ!。
そう意気込んで、しかもちゃんと美術館のサイトを見て
行き方もしっかり頭に叩き込んだつもりだったが…
今まで新宿というと、品川からJRに乗り換えて行っていたのだけど
こっちの方が外に出る時間が少なくて涼しいんじゃないか?ということで
大江戸線の新宿西口駅まで行ってみることにした。
大門および都庁前で乗り換えて無事に新宿西口駅に到着。
ロータリーを挟んで右側右側…右側の通路だぞ。
「新宿の目」を右手に確認。よし、ここまで合ってる。
そしてこの地下通路を直進すると、
右手に「モード学園コクーンタワー」の表示が見えてくるはず。
そこから地上に上がれば損保ジャパンのビルが見えるハズ。
…あれ?。見えない(・o・)。
なんかビルの逆側に出てきちゃったみたい(^o^;。
ぐるっとビルを半周したら、あったあった、損保ジャパン。
やっぱり今回も軽く迷子になってしまった_| ̄|◯。
てなわけで到着。
観にきたのは《生誕140年 吉田博展 山と水の風景》。
吉田博…あまりにもありふれた名前であるが
どのようなアーティストなのかというと
1876年、福岡県久留米市生まれの洋画家・版画家。
10代半ばで絵の才能を見込まれて上京し、不同舎という画塾に入門。
展覧会はまずこの不同舎時代の作品の紹介から始まるのだけど
なんというか、後世に名を残す人というのは
やはり若い時分から才能に溢れているのだなぁと実感。
仲間から「絵の鬼」と呼ばれるくらいだから
本人の努力も並々ならぬものだったのだろうけど、
10代後半にしてこの画力…タダモノではない。
そしてその頃、黒田清輝がフランスから帰国し日本画壇を席捲。
政府の支援を受けて海外留学する黒田の仲間達を羨ましく思った吉田博は
自分も海外に行きたい!と、片道分の旅費と描きためた自分の作品を携えて
1899年、友人であった中川八郎と共にアメリカに渡る。
そこで二人の描いた水彩画がデトロイト美術館の目に留まり
展覧会を開催したところ、これが大当たり!。
持参した水彩画は売れに売れ、十分な旅費を稼いだ二人は
イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど、
ヨーロッパ各国を巡って1901年に帰国した。
こんなにあちこち歴訪したなんて、どんだけアメリカで稼いだんだよ?!
って疑問が湧いてくるのだけど、なんでも当時の小学校教員の
給与13年分の売上だった…とのことである。オソルベシ!。
この頃の作品として展示されているのが水彩画。
とても透明感があって、後の版画に繋がるものを感じさせる。
特に「いいナ」と思ったのは『帆船』『つつじの咲く高原』など。
油彩画もあるのだけど…う〜ん…油絵具という素材の特性か
水彩画のような透明感が殆ど感じられず、個人的にはいまひとつ・・・(^^;。
なんというか、割と普通の風景画という印象…。
それでも、その中で「あ、これ好きだな」と思った油彩画は
ホイッスラーの影響を受けていると言われている『チューリンガムの黄昏』。
で、作品を観ていると、吉田博って人は
きっと穏やかな人柄だったのだろうなぁ…などと勝手に想像してしまうのだが
実はかなり反骨精神の強い人だったようで
1907年の東京府勧業博覧会において、
黒田清輝率いる白馬会に偏った審査の不公平さを訴え
褒状返還運動の首謀者となったりと
黒田清輝および白馬会には何かと反発していて
ホントかどうかは知らないが「黒田清輝を殴った」なんて武勇伝もあるくらい
実に熱い人物だったようだ。
アタシは吉田博=版画家だと思っていたのだけど、
このように若い頃は水彩・油彩の風景画(特に山岳の風景)を中心に描いており
本格的に木版画の制作を始めたのは49歳(1925年)の時。
(1921年に渡辺木版画補からいくつかの木版画を出版はしている)。
その直前に行った欧米の遊学先で
日本の浮世絵版画がいまだに人気を博していて
粗悪な作品でも欧米人が喜んで蒐集しているのを目の当たりにして
「自分だったらもっと凄いことが出来るのに」と思ったのがきっかけらしい。
帰国した吉田博は、日本の伝統的な木版画の技法を使って
それまでにはなかった新しい版画を生み出した。
通常、木版画は、絵師、彫り師、摺師の共同作業によって制作されるのだけど
吉田博は彫り・摺りすべての行程を自ら監修し、一切の妥協を許さなかったそう。
江戸時代の錦絵は10数回の摺り数なのに比べて
吉田博の木版画の摺り回数は平均30数回、
今回展示されている『陽明門』に至っては、なんと96回摺り!!!(◎_◎)。
なんだかもう気が遠くなってしまう。
実際その『陽明門』を目にすると、その超絶さゆえもはや木版画とは思えない。
海外の風景を題材にしているのも面白くて
グランドキャニオンとかヨセミテ、スフィンクス、タージマハール、
マッターホルンなど、異国の風景が日本の錦絵の技法で表現されているのが
ものすごく新鮮。
同じ版木を用い、色を変えて摺ることで
同じ風景の朝と夜、昼と夜という時間の変化を表現した「別刷り」という手法の
作品も多く展示されていて、これもとっても面白い。
版画の特性を生かした、ちょっとした工夫なのだけど
同じ版木でも、こんなに違った表現が出来るのか!と驚いてしまう。
一応、自分の覚え書き的にお気に入りの作品を羅列…(^^;ゞ
『ヨセミテ公園』
『光る海 瀬戸内海集』←ダイアナ妃が執務室に飾ってたやつ
『鞆の浦 瀬戸内海集』
『朝日 富士拾景』
『平河橋 東京拾二題』←満月がすごく綺麗
『雲井櫻』
『渓流』
『ラングーンの金塔 印度と東南アジア』
『フワテールシクリ 印度と東南アジア』
『ウダイプールの城 印度と東南アジア』←背後のアラベスク模様が超絶!
『陽明門』
とにかく、吉田博の木版画は空の色と水面の表現がスゴイ。
特に朝と夕の空の色、山肌に当たる陽の光なんて絶品。
日本のちょっと湿気を帯びた感じや、
砂漠の乾ききった感じ、インドの強い日差しなど
国ごとに異なる空気の質感までも描き分けている。
最後の章では、戦中・戦後の作品が少しばかり展示されている。
戦時中、従軍画家だった時に描いた油彩画で
『急降下爆撃』『空中戦闘』という作品がある。
吉田博はホントに高いところからの眺めが好きな人だったようで(^^;
自ら戦闘機にも同乗して、その時の体験したと思われる風景(?)を
この2作品で描いている。
なんというか、この絵の前に立った瞬間にクラッとして目が回る(◎0◎;)。
こんな体験は初めてだったので、かなり衝撃的だった。
自分土産はポストカード8枚(1枚写真に入れ忘れた^o^;)。
8月には後期展示になり、かなりの数の作品が入れ替わるようだ。
後期展示も行きたいけれど、行かれるかどうかわからいないので
実物を観ていない後期展示の作品のポストカードも買っておいた。
損保ジャパンのビルの外に出たらば、もうすっかり夕暮れ。
なんだかもう自分の目が「吉田博モード」になっちゃってて
ビルの谷間から見える夕空のグラデーションが
紙に摺られた吉田博の木版画みたいに見えて仕方がなかった(^^;ゞ。
それにしても吉田博…
なにゆえ洒落た雅号をつけなかったんだろうか。
(そこがまた逆にちょっとカッコいいけれども)。
2017-07-20 01:09
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コメント(6)
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水面の表現もすごいが雲の表現もすごいですね。いちおう雅号は「白鳳」を名乗ったことがあるそうですが、ほとんど使わなかったそうです。版画へのきっかけはもうすこしびみょうなものだったんじゃないかと思います。内堀有「忘れられた山の画家・吉田博」『山書研究』7号が参考になります。
by sakiyama_kiichirou (2017-07-20 22:00)
>sakiyama_kiichirouさん
貴重なコメントをありがとうございます。
教えていただいた著書を検索してみたところ
sakiyama_kiichirouさんのものと思しきブログに辿り着きました。
大変勉強になります。他の部分ものちほどゆっくり拝見させていただきます!。
どうもありがとうございました。
by 梅屋千年堂 (2017-07-20 23:20)
すみません。×白鳳 ○白峰 でした。
by sakiyama_kiichirou (2017-07-22 21:57)
>sakiyama_kiichirouさん
ご丁寧にありがとうございます。
「白峰」とは山好きな吉田博らしい雅号ですね。
吉田博、もっともっと有名になってもいい作家だと思います。
by 梅屋千年堂 (2017-07-23 22:52)
知らないと迷子になりかねない新宿駅、ダンジョンとか呼ばれてるんですね。
サブナードは私もテリトリー外です。
https://togetter.com/li/1051750
by えの (2017-07-26 09:58)
>えのさん
ダンジョンなんて呼ばれているなら
迷子になっても恥ずかしくはないかな…いや、やっぱり恥ずかしいか(笑)。
by 梅屋千年堂 (2017-07-26 19:55)