SSブログ

ミロ展 −日本を夢みて− [EXHIBITION]

先週行ってきた展覧会。

場所はBunkamura ザ・ミュージアム。
01_entrance.jpg
なんだか久しぶりに訪れた気がする。


ジュアン・ミロ(1893-1983)は、スペイン・バルセロナ生まれの芸術家。

…ジュアン?

ミロの名前はジョアンではなかったか?。
いきなりそんな疑問が湧き起こったが、
この展覧会では実際の発音に近い「ジュアン」とした、とのこと。

ゴッホやマネ、モネら、西洋のアーティストが
日本文化に高い関心を持っていたことはよく知られているが
実はミロも日本文化に造詣が深く、
その創作活動にも影響を与えていたのだそう。
そうした切り口でミロの作品を展望する展覧会である。

ミロの作品と云えば、シンプルな線や図形で描かれた抽象画のイメージ。
アタシは草間彌生だったり岡本太郎だったり、
パウル・クレーであったりジャクソン・ポロックだったり
モンドリアンであったり、ああいう「よく分からない絵」も結構好きで
ちょっと疲れている時などは、具象的なものよりも
こういった作品に癒やしを求めることが多いし
実際に癒やしを得られることも少なくない。

そんな癒やしを求めてのミロ展は5部構成。

《I. 日本好きのミロ》
ここでは1910年代の、若きミロの作品が紹介される。
『アンリク・クリストフル・リカルの肖像』は
画家で日本美術コレクターである友人を描いた作品。
02_ricarl.jpg
(嬉しいことにいくつかの作品は撮影可)。

実物の浮世絵が背景に貼り付けられている。
この浮世絵は「ちりめん絵」という、作者も不明な安価なものだが
こうしたことからもミロの日本文化への関心が伺える。

他にもこの頃のミロの作品がいくつか展示されているのだけど
アタシ達がイメージするミロの作品とは程遠く
フォービスムのような、キュビスムのような…
なにやらセザンヌ風でもあったりと、
多くの画家がそうであるように若さゆえの模索が感じられる。

この頃のミロは、個展を開いても作品が1枚も売れないという
不遇な日々を過ごしていたようである。…分かる気もする(^^;。


《II. 画家ミロの歩み》
1920年代になると、パリに向かい新たな表現を模索するミロ。
ここでは既に「ザ・ミロ」になっている。
なんだか作風が突然変わった感(・o・)。
言い方は悪いが、サルが突然人間になった!みたいな。
…さっき観た1910年代の作品とここで紹介されている作品の
間はないのか?!(笑)。

とはいえ、やっぱりこれぞミロ!。こういうのがイイ。
印象に残ったのは
『パイプを吸う男』
どこかで観たことがあるな…と思ったら富山県美術館蔵。
2021年、横浜美術館でのトライアローグ展で観た作品だった。

『絵画(絵画=コラージュ)』
様々な素材をコラージュして制作し人間の顔を麻紐で縛ったもの。

『アルバム13』
モノクロで描かれているモノはどこか漢字のようであり
日本の書を思わせる印象。

こちらは『焼けた森の中の人物たちによる構成』。
03_yaketamori.jpg
なかなかに難解だ(^^;。



《III. 描くことと書くこと》
絵を描くことと文字を書くことを区別せずに
「絵画と文字の融合」を追求するようになるミロ。

こちらは『絵画(カタツムリ、女、花、星)』という作品。
04_escargot.jpg
んんんん〜〜〜っっっ?わからんっ(笑)。
でもこういうの嫌いじゃない。


印象的だったのは
『ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子』
05_dancer.jpg
これも、どれが踊り子???。どれがオルガン???。
なんとなく分かるような気はするけれど、それが正解かはわからない(^^;。

『独り語る』
トリスタン・ツァラの詩に、ミロが絵を添えたもの。
絵を観ても詩の内容は伝わってこないけれども
何故だか「部屋に飾りたい」と感じる作品。

それとタイトルが不思議な『絵画=詩(おお!あの人やっちゃったのね)』。
「やっちゃった」って何を?!。
…描かれているのはお尻で、やっちゃったのは〈おなら〉だとか(笑)。



《IV. 日本を夢みて》
ここでは戦後の作品を紹介。
第二次世界大戦後のミロは、
ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガスという
日本文化に造詣が深い陶芸家とともに陶器の制作を始める。
そのアルティガスとの共作で『大壺』というタイトルの
その名の通り大きな壺が展示されている。
よくこんなでっかい壺を作ったなぁ…(^^;。
粘土を紐状に積み上げていったような横筋がみえるから
紐づくりなのかな。



《V. 二度の来日》
ミロは自身の展覧会に合わせて1966年に初来日を果たす。
原弘『ミロ展ポスター』は1966年に国立近代美術館で開催された
回顧展のためのポスター。
それまで美術展のポスターは文字のみのタイポグラフィーが多かったので
このポスターのようなデザインのものはかなり斬新だったそうだ。

ミロはこの時の2週間の日本滞在で、京都・龍安寺の方丈庭園(石庭)や
世田谷の五島美術館を訪れたり、アルティガスの息子の妻(石川允子)の
実家を訪れたり、大相撲観戦を楽しんだりしたらしい。
(大鵬と並んで撮った写真があった)。
更に1940年に世界初のミロのモノグラフ(単行書)を発表した
美術評論家で詩人・画家の瀧口修造との26年越しの邂逅も果たす。
この時すでに70歳を超えていたミロだが
それはそれは精力的に日本各地を巡ったそうだ。

ところで、ミロの作品を観ていると岡本太郎との共通点を感じる。
年代的にみて、この来日の時にミロは岡本太郎とは会わなかったのだろうか?と
思いながら観ていたら…やっぱり会っていた。
どんな話をしたのかなぁ。ちょっと気になる。

ここでは、ミロが瀧口修造に贈ったプレゼントも展示されている。
その贈り物を遠目に見ると、首を折り曲げた
水鳥のオブジェのように見えるのだけど、
近くに寄ってキャプションを見たら
なんと!天然のひょうたんだった!(笑)。
これをもらった瀧口は大層気に入って喜んだのだとか。

その瀧口が亡くなったときにミロが寄せた
『無題(瀧口修造へのオマージュ)』には、その滲んだ線が
なんとなく涙を連想させて、友を失った悲しみのようなものを感じた…
…というのは勝手なアタシの解釈。

ちなみにこの章で展示されていた中で…というか
今回の展覧会でアタシが一番印象に残ったのが
1967年に制作された『俳句』という作品。
黒地に細い白い線で描かれた湾曲した矢印と米印(星?)。
右下には赤い色で描かれた点とスパッタリング。
なんだか「これすごくイイ!」と思った。



《VI. ミロの中の日本》
来日以降のミロの作品には、書道の滲みや跳ねを感じさせる
太く黒い線が多用したものが多くなっていくという。

こちらは1966年の『絵画』という作品。
06_kaiga.jpg

『マキモノ』という作品は、日本の絵巻物のような形態をとり、
その外箱のデザインも洒落ていて素敵だ。

1983年の『マジョルカ・シリーズ』という作品は
80歳の人が描いたとは思えないほどの激しさだった。


自分で思っていた以上にじっくり観てしまって
全部観終わるのに丸々2時間かかってしまった。
ミロがこんなにも日本文化に影響を受けていたとは知らず
(元々そんなには詳しくないけど^^;)
アタシの中のミロ感がアップデートされた気がした。



最後はミュージアムショップ。
ミロの作品の多くは色鮮やかでグッズ映えするので
これまた魅力的なグッズがたくさんあったのだけど
今日もまたグッと堪えてポストカードとブックマークのみ。
07_souvenir.jpg
一番気に入った『俳句』のポストカードがあったのは嬉しかった。


ミロが願ったのは
「3000年先の人々を心から解放する存在になること」
なのだそう。
まだ3000年は経ってないけど、半世紀先に生きるアタシの心は
ミロの作品を観ることで間違いなく解放された(…と思う)。
コメント(2) 

コメント 2

おかん

TVで林家たい平さんが紹介していたのを見て興味は持ちましたが、行けていません・・。
よく解らないけど、楽しい!って感覚になる(なれる)感性を体感したい感じ。・・感の漢字ばかりになってしまった。
by おかん (2022-04-04 11:12) 

梅屋千年堂

>おかんさん
キャプションを読んでいくと、1936年に始まったスペイン内戦を
反映したような重い作品もあるのですが、そのような作品を観ても
アートって自由だなと感じさせてくれます。
ミロ展、見応え十分で良いですよ。

by 梅屋千年堂 (2022-04-06 04:28) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。