クリスチャン・ボルタンスキー −Lifetime [EXHIBITION]
自分でも何故だか分からないが「観に行きたい」と惹かれていた展覧会。
ラッキーなことに招待券をいただいたヽ(^。^)丿。
…とその前に、幸ちゃんの写真展再び。
夏イベ二日目の朝に観てきたけれど
あまりゆっくり観られなかったので、もう一度やってきた。
最初アタシの他に2人ほどお客さんがいたのだけど
しばらくするとその二人もいなくなっちゃって貸切状態(^^;。
じっくり過ぎるほどじっくり鑑賞。
手前の草や砂利から奥の方の地平線や水平線まで
ピシーッ!とフォーカスが合っていて「どゆこと?」なんて思ってしまう。
そして物凄く人気がある(売れている)作品と
そうでもない作品は一体何が違うんだろう?なんて考えてみたり。
でアタシはやっぱり『風こそ力』が好きだけど
でっかい写真を観てしまうと、2Lはやはり少し物足りないよなぁと
購入にはいたらず…。
幸ちゃんの写真で癒されたあとは、
京橋から銀座線に乗って表参道乗換で乃木坂へ。
クリスチャン・ボルタンスキー展をやっている国立新美術館は乃木坂駅直結。
(これは帰りに撮った写真)。
今回も地下1階のカフェテリア・カレにてまずは腹拵え(^^;ゞ。
「ベーコンときのこのクリームペンネ」。
チーズもたっぷりで美味しい〜(*^^*)。
というわけで、やっと本題。
クリスチャン・ボルタンスキーは1944年パリ生まれの現代アーティスト。
'60年代後半から短編映画を制作、その後はポートレート、光、衣類などと用いて
人間の記憶や生と死にまつわる作品を手掛けてきた。
今回はそんなボルタンスキーの、
日本において過去最大規模の回顧展なのだそう。
アタシはボルタンスキーのことは今回の展覧会で初めて知ったのだけど
この展覧会のポスターやチラシを見掛けるたびに
何故か惹かれるものを感じていて「観なくちゃな」と思っていた。
チケットを提示したあと、作品リストを渡されるのだけど
これがタブロイド紙のようなペラペラの紙。
展示されている作品には番号が付いておらず
この目録に載っているフロアマップと作品解説の番号を
照らし合わせながら、目の前の作品がどういうものなのかを
追っていかなければならない。
しかし文字も小さく、展示室もかなり薄暗いので
最初のうちはこれが物凄いストレス(-_-;。
けれども実は、このタブロイド紙状の作品リストも
経費節減などではなく(笑)ボルタンスキーの意図したところらしい。
全体を通して観て思ったのは
なんだか教会か墓地の中を歩いているような展覧会だった、ということ。
新聞の死亡告知欄に掲載された人の写真を百何十枚と並べてみたり、
子供たちのモノクロ写真を祭壇を思わせるようなオブジェと共に
飾ってみたり…いったいこの古い写真の人々の身に
なにが起きたのだろう?と想像せずにはいられない。
ボルタンスキーの心臓音がひたすら流れ続け
それに合わせて大きな電球が明滅するという作品や
ボルタンスキーが生まれて今までの秒数が表示されている
カウンター(当然今も刻々と数字が増えている)といった、
ボルタンスキー自身の「生」や「記憶」を
モチーフにした作品もある。
展示室内は一部のみ撮影可。
『幽霊の廊下』
両側のカーテンには骸骨や死神か天使と思われる
ちょっと不気味だけれども愛嬌もあるキャラクターたちのシルエット。
その廊下の奥はだだっ広い展示空間になっていて
このような幻想的な世界が広がっている。
天井から下がる何枚ものベールは『スピリット』という作品。
右下にちょっと見えている黒い三角の山は、実はかなり巨大な作品。
『ぼた山』というタイトルで、大量の黒い衣類が積み上がって出来ている。
左手には大きな白いスクリーン。
『アニミタス〈白〉』という作品。
小さな鐘の音がずーっと鳴り続けている。
同じ展示室内には、こんな人形たちも点在。
人形のそばに立つと英語(?)と日本語で語りかけてくる
『発言する』という作品。
語りかけてくる言葉は人形によって異なり、男性の声もあれば女性の声もある。
うろ覚えだが
「ねぇ聞かせて おかあさんの遺したもの」
「苦しんだ?」「一瞬だった?」「祈った?」
そんなことを語りかけてくる。
誰かの死に立ち会った感想を訊かれているようでもあるが、
実はこの人形は死後の世界の住人で、自分自身が死んだときに
どんな感覚だったのかを尋ねられているような、
そんな不穏な気持ちにもさせられる。
2つの出入り口が開いた壁を抜けていくと
『ミステリオス』という映像作品。
パタゴニアで撮影された3つの映像には、波以外ほとんど動きがない。
更にスクリーンの向こう側に回ってみると…
待っていたのはなんと来世!。
『白いモニュメント、来世』という今回の展覧会のために制作された作品。
ボルタンスキーはそんなこと全く意図していないと思うのだけど
帰宅して写真の整理をしながら、この画像に「raise(来世)」という
ファイル名を付しながら「raise」って英単語にもあるよなぁと思い立ち
英和辞書で改めて「raise」という単語を引いてみたところ
「上げる」「掲げる」「起き上がる」の他に
「(死者を)生き返らせる」なんてのも出てきて
コトバの偶然に、ちょっと不思議な感覚を覚えた。
で、その先の「来世」はどんな感じなのか…
壁一面を覆う衣類は『保存室(カナダ)』という作品。
人々が覗いているのは何かというと…
『黄金の海』。
床に敷き詰められているのはエマージェンシーブランケット。
その上を、灯りの点いた電球が振り子状に行ったり来たりを繰り返す。
その度にエマージェンシーブランケットの表面がキラキラ光る。
その向かい側は『黄昏』という作品。
黒い床の上に置かれたたくさんの電球。
灯りが点いているものもあれば消えてしまっているものもある。
展覧会の初日は全ての電球が点いていたが
1日に3つずつ灯りが消えて、最終日には全ての電球が消灯してしまうという。
「人生があらかじめ決められた死に向かって進んでいることを示している」
のだそうだ。
全ての展示を観終わった頃には、
タブロイド紙型の作品リストはしわくちゃのボロボロ。
なるほどそういうこと?なんて勝手に合点。
こんな感じで、テーマはなかなかヘヴィだが
不思議と観終わった後にどよ〜ん…とした気分にはなることはなかった。
さ〜て帰るか…いや、でもちょっとお茶してから(^^;ゞ。
てなわけで「サロン・ド・テ・ロンド」でケーキセット(*^^*)。
ベイクドチーズケーキ オレンジソース添え。
あああ〜、美味しかった( ̄▽ ̄)。
自分土産はポストカードとA5サイズのノート。
ノートは紙がすべすべしてて、とっても書きやすそうだったのでつい…(^^;ゞ。
ふむ、またタダ券でイイ思いした(笑)。
この夏まだまだ観たい展覧会がたくさんあるのだけど…
全部はやっぱり無理だろうなぁ…。
ラッキーなことに招待券をいただいたヽ(^。^)丿。
…とその前に、幸ちゃんの写真展再び。
夏イベ二日目の朝に観てきたけれど
あまりゆっくり観られなかったので、もう一度やってきた。
最初アタシの他に2人ほどお客さんがいたのだけど
しばらくするとその二人もいなくなっちゃって貸切状態(^^;。
じっくり過ぎるほどじっくり鑑賞。
手前の草や砂利から奥の方の地平線や水平線まで
ピシーッ!とフォーカスが合っていて「どゆこと?」なんて思ってしまう。
そして物凄く人気がある(売れている)作品と
そうでもない作品は一体何が違うんだろう?なんて考えてみたり。
でアタシはやっぱり『風こそ力』が好きだけど
でっかい写真を観てしまうと、2Lはやはり少し物足りないよなぁと
購入にはいたらず…。
幸ちゃんの写真で癒されたあとは、
京橋から銀座線に乗って表参道乗換で乃木坂へ。
クリスチャン・ボルタンスキー展をやっている国立新美術館は乃木坂駅直結。
(これは帰りに撮った写真)。
今回も地下1階のカフェテリア・カレにてまずは腹拵え(^^;ゞ。
「ベーコンときのこのクリームペンネ」。
チーズもたっぷりで美味しい〜(*^^*)。
というわけで、やっと本題。
クリスチャン・ボルタンスキーは1944年パリ生まれの現代アーティスト。
'60年代後半から短編映画を制作、その後はポートレート、光、衣類などと用いて
人間の記憶や生と死にまつわる作品を手掛けてきた。
今回はそんなボルタンスキーの、
日本において過去最大規模の回顧展なのだそう。
アタシはボルタンスキーのことは今回の展覧会で初めて知ったのだけど
この展覧会のポスターやチラシを見掛けるたびに
何故か惹かれるものを感じていて「観なくちゃな」と思っていた。
チケットを提示したあと、作品リストを渡されるのだけど
これがタブロイド紙のようなペラペラの紙。
展示されている作品には番号が付いておらず
この目録に載っているフロアマップと作品解説の番号を
照らし合わせながら、目の前の作品がどういうものなのかを
追っていかなければならない。
しかし文字も小さく、展示室もかなり薄暗いので
最初のうちはこれが物凄いストレス(-_-;。
けれども実は、このタブロイド紙状の作品リストも
経費節減などではなく(笑)ボルタンスキーの意図したところらしい。
全体を通して観て思ったのは
なんだか教会か墓地の中を歩いているような展覧会だった、ということ。
新聞の死亡告知欄に掲載された人の写真を百何十枚と並べてみたり、
子供たちのモノクロ写真を祭壇を思わせるようなオブジェと共に
飾ってみたり…いったいこの古い写真の人々の身に
なにが起きたのだろう?と想像せずにはいられない。
ボルタンスキーの心臓音がひたすら流れ続け
それに合わせて大きな電球が明滅するという作品や
ボルタンスキーが生まれて今までの秒数が表示されている
カウンター(当然今も刻々と数字が増えている)といった、
ボルタンスキー自身の「生」や「記憶」を
モチーフにした作品もある。
展示室内は一部のみ撮影可。
『幽霊の廊下』
両側のカーテンには骸骨や死神か天使と思われる
ちょっと不気味だけれども愛嬌もあるキャラクターたちのシルエット。
その廊下の奥はだだっ広い展示空間になっていて
このような幻想的な世界が広がっている。
天井から下がる何枚ものベールは『スピリット』という作品。
右下にちょっと見えている黒い三角の山は、実はかなり巨大な作品。
『ぼた山』というタイトルで、大量の黒い衣類が積み上がって出来ている。
左手には大きな白いスクリーン。
『アニミタス〈白〉』という作品。
小さな鐘の音がずーっと鳴り続けている。
同じ展示室内には、こんな人形たちも点在。
人形のそばに立つと英語(?)と日本語で語りかけてくる
『発言する』という作品。
語りかけてくる言葉は人形によって異なり、男性の声もあれば女性の声もある。
うろ覚えだが
「ねぇ聞かせて おかあさんの遺したもの」
「苦しんだ?」「一瞬だった?」「祈った?」
そんなことを語りかけてくる。
誰かの死に立ち会った感想を訊かれているようでもあるが、
実はこの人形は死後の世界の住人で、自分自身が死んだときに
どんな感覚だったのかを尋ねられているような、
そんな不穏な気持ちにもさせられる。
2つの出入り口が開いた壁を抜けていくと
『ミステリオス』という映像作品。
パタゴニアで撮影された3つの映像には、波以外ほとんど動きがない。
更にスクリーンの向こう側に回ってみると…
待っていたのはなんと来世!。
『白いモニュメント、来世』という今回の展覧会のために制作された作品。
ボルタンスキーはそんなこと全く意図していないと思うのだけど
帰宅して写真の整理をしながら、この画像に「raise(来世)」という
ファイル名を付しながら「raise」って英単語にもあるよなぁと思い立ち
英和辞書で改めて「raise」という単語を引いてみたところ
「上げる」「掲げる」「起き上がる」の他に
「(死者を)生き返らせる」なんてのも出てきて
コトバの偶然に、ちょっと不思議な感覚を覚えた。
で、その先の「来世」はどんな感じなのか…
壁一面を覆う衣類は『保存室(カナダ)』という作品。
人々が覗いているのは何かというと…
『黄金の海』。
床に敷き詰められているのはエマージェンシーブランケット。
その上を、灯りの点いた電球が振り子状に行ったり来たりを繰り返す。
その度にエマージェンシーブランケットの表面がキラキラ光る。
その向かい側は『黄昏』という作品。
黒い床の上に置かれたたくさんの電球。
灯りが点いているものもあれば消えてしまっているものもある。
展覧会の初日は全ての電球が点いていたが
1日に3つずつ灯りが消えて、最終日には全ての電球が消灯してしまうという。
「人生があらかじめ決められた死に向かって進んでいることを示している」
のだそうだ。
全ての展示を観終わった頃には、
タブロイド紙型の作品リストはしわくちゃのボロボロ。
なるほどそういうこと?なんて勝手に合点。
こんな感じで、テーマはなかなかヘヴィだが
不思議と観終わった後にどよ〜ん…とした気分にはなることはなかった。
さ〜て帰るか…いや、でもちょっとお茶してから(^^;ゞ。
てなわけで「サロン・ド・テ・ロンド」でケーキセット(*^^*)。
ベイクドチーズケーキ オレンジソース添え。
あああ〜、美味しかった( ̄▽ ̄)。
自分土産はポストカードとA5サイズのノート。
ノートは紙がすべすべしてて、とっても書きやすそうだったのでつい…(^^;ゞ。
ふむ、またタダ券でイイ思いした(笑)。
この夏まだまだ観たい展覧会がたくさんあるのだけど…
全部はやっぱり無理だろうなぁ…。
2019-08-21 23:54
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